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─11─ いびつな心

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-04-02 20:30:00
ささいなきっかけで自我と言葉を取り戻した少年は、大司祭直々に神官となるべく修練を始め、ミレダと共にジョセの手ほどきで剣を学ぶようになった。

しかし、意外なことに剣術においてはすぐにミレダと対等に打ち合いが出来るようになったが、神官の領域では『司祭並みの力は持っている』にもかかわらず、全く成長の兆しがなかった。

成人する直前、未だ神官としては最下位の修士の位についていた彼は、ある選択を迫られていた。

このまま司祭館に残り修練を続け、一つ上の位である導士となった後、神官騎士団に入るか。

或いは司祭館を出て、直接皇帝に仕える通常の武官となるか。

正直、ミレダは彼に前者の道を選んで欲しいと思っていた。

そう口添えをして貰うべく、カザリン・ナロードに彼女は訴えたが、大司祭は僅かに顔を曇らせて言った。

あの子は子どもの頃の悲しい事件で、『聖職者』である以前に『人間』として生きるために必要な何かが欠落してしまっている。

そして本人もそれに気付いているが、その隙間を彼自身が埋めようとはしない、と。

それを聞いたミレダはすぐさま、自室で『祈りの書』を黙読する彼の元へ向かった。

お前にはそれだけの能力があるのに、どうして生かそうとしないのか。

血相を変え、そう怒鳴り込んできたミレダに、彼は本を閉じながら素っ気なく言った。

自分は武官になるつもりだ、と。

「そんな……そうしたら、乱戦にかこつけて味方に……宰相の息のかかった奴らに殺されるのが関の山だぞ!」

そう主張するミレダに、彼は常の如く表情を変えることはない。

そこまで見くびられているとは思わなかった、とうそぶいて見せてから、藍色の瞳をミレダに向けた。

「どのみち、俺は司祭……聖職者になるには致命的な禁忌を犯してる。このままここで燻っていてもあなたや猊下から受けた恩に報いることはできない。だから武官となるほうを選ぶ」

そう言い放つ彼に、全く迷いは感じられなかった。

その時、ようやくミレダはあることに気がついた。

自分は彼を『助けた』のではなく、彼とは全く関わりのないはずだった宮廷内の権力闘争という名の、最も陰惨で悪意に満ちた物に『巻き込んで』しまったのだと。

     ※

以来二年半。

初陣から今まで、彼は未だ敗戦を知らない。

皇都に溢れる『由緒
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